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「『小千谷文化』第153号・第154号(合冊)から」

「雪国の文化を日本中に広めた鈴木牧之」
−旅での交流と『北越雪譜』−

 鈴木牧之は明和七年(一七七〇)一月、魚沼郡塩沢に鈴木恒右衛門の長子として生まれた。幼名を与太郎と称し、元服して義三治と改め、俳号を牧之と号した。
 鈴木家は縮布仲買商を営んでおり、父恒右衛門は牧水と号した俳人でもあった。牧之は父の影響を受け幼い頃より手習い、文芸、学問に励んだ。


「鈴木牧之資料館」
 十四歳のときには、六日町の遠藤家に江戸の画家法橋玉元(狩野梅笑)が滞在していたことを知り、姉の嫁ぎ先今成喜左衛門家に泊まり込んで遠藤家に通い描画を学んだ。このとき、あまりに絵に熱中したことで、健康を害し、両親の心配から志中ばで挫折せざるを得なかった。
 鈴木牧之は生涯を通じ旅を大変好んだ。江戸では作家の山東京伝、山東京山、滝沢馬琴、十辺舎一九、画家の葛飾北斎、谷文晁、書家の亀田鵬斎、俳諧の村上道彦、役者の市川団十郎などと知り合ったが、江戸に限らず魚沼近郷の人々との親交も小さな旅も求めた。また、几帳面な性格である一方、器用な質で、細工物が得意で、家中の整理箱を幾つも作った。
 天明八年(一七八八)、一九歳で初めて江戸を訪れ、商いのかたわら、江戸や鎌倉の名所を回り、沢田東江の塾に入門した。しかし、二十歳以降、若年にして家業を任されたため、学問や文芸の道へ歩むことを断念したが、夜職として、読書、俳諧、作詞などに励んだという。
 寛政八年(一七九六)、二七歳のときには、お伊勢参り、西国三三ヶ所巡拝をし、『西遊記神都詣西国順礼』を、文化八年(一八一一)、四二歳のときには、苗場山に登り『苗場山紀行』の紀行記録をまとめた。
 世話好きでもあった牧之は、寛政一二年、三一歳のときに浦佐毘沙門堂の俳句奉納献額を発願し、各地から有志を募集した。四一〇〇余句が寄せられ、全国有名字匠一〇人の選者を依頼、選句し、享和元年に普光寺境内に奉納した。
 『秋山紀行』は民族習俗をたずねた紀行であり、民俗学的に高く評価されている。文政一一年(一八二八)、信越境秘境秋山郷を訪れ風土、人情、衣食住、方言など、挿絵を交え、客観的に記録した。実録と戯作の二種類があり、十返舎一九に頼んで刊行する予定であったが一九の死により実現せず、牧之の生前には刊行されることはなかった。


「秋山の入口清水川原の家二軒」
 牧之の著作の中で最も多くの人々に知られているのは『北越雪譜』である。雪国の風土や習俗の調査、紹介にとどまらず、雪の科学的な観察や、地下、火浣布などの研究課題を取り上げた。二〇代の頃この構想を立て、出版されたのは六〇代の頃であるから、この作品に牧之は四〇年近い歳月を費やした。
 『北越雪譜』を出版するにあったって牧之は、交友のあった一流の著名人に協力を求めた。まず江戸の山東京伝と交渉を始めたが、費用がかかるということになったので、あきらめ、滝沢馬琴に依頼したが、当時、京伝は馬琴の師であったこともあり断られた。その後、大阪の岡田玉山と交渉、版元まで話を付けた。文化五年、玉山の死によって失敗。同九年、塩沢に来た鈴木芙蓉に話を持ちかけたが、翌年芙蓉は亡くなってしまう。
 文化一四年、牧之は再び馬琴に依頼をした。前年京伝が没していたこともあり、うまく出版の話は進んだようであった。この頃、馬琴は『南総里見八犬伝』の出版が始まっており、この中で牧之の名前と共に二十村郷の「牛の角突き」の話を載せている。しかし、馬琴
は多忙のため、そのまま十年が経過した。
 そこに京伝の弟京山から協力したいという申し出があり、京山、京山の息子京水、牧之により天保八年(一八三七)『北越雪譜』は波乱万丈の中で牧之の執念が実りようやく陽の目をみることになる。
 牧之は元来強健であったと言う。晩年病気となっても学問、芸術に取り組む旺盛な姿勢は少しも変わることはなかったし、孫にも手習いを教えるなど後学を育てようとする豊かな心を持ちつづけ七三年の生涯を閉じた。

<時代メモ その一>
 封建制度の行き詰まりのなか、化政期にかけ江戸で庶民の文化が繁栄を進めた。上方の文化に変わり、江戸特有の新しい様式が生まれ、その中で活躍したのが、山東京伝、滝沢馬琴、十返舎一九であった。
<時代メモ その二>
 小千谷で牧之と交流のあった大塚玉湖は,絵画において特に抜きでていた。馬琴は、牧之が送った玉湖の画の写しを見て感心した。そのほか牧之の生きた時代、小千谷の文人で活躍したのは、大塚米岳、久保田東湖などがいる。
時代メモ その三
 享和三年(一八〇三)木喰五行上人が越後を訪れ、小栗山などに木喰仏を残す。
 文化六年(一八一〇)片貝村新領庄屋太刀川喜右衛門により『やせかまど』の本編の第一冊が書かれる。
〈参考文献〉 
 『鈴木牧之資料集』
 『鈴木牧之』ー雪国の風土と文化ー
 『新潟県史』通史編5 近世三
(文・小野坂頼甚)