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☆協会の軌跡

☆副会長紹介
☆『小千谷文化』の軌跡

 本協会は昭和30年(1955) 6月15日に『小千谷市文化財協会』として設立。
小千谷市制施行(昭和29年3月10日)の混乱が未だ収まらないさなか、慈眼寺様を会場にした「小千谷史談会」の人々に加え、新しき市域の著名な文化人有志が集まってのことでした。
事務局は、船岡町にあった新制の市公民館事務室の中に活動の拠点として設置され、その後、鉄筋で新設された市公民館社会教育課内(土川)に移転し、昭和62年(1987)3月まで31年間市当局及び吏員の援助により支えられてきました。
同年4月事務局の運営はその形態を変え会員有志によるところとなり、純粋な民間団体として歩み始め20年目を皆の愛情と努力によりつなげられています。

 振り返ってみると、初期の時代は、今では想像もできないくらいの権威というか格式を求めたようです。
 会員資格を得るには、二名以上の推薦者が必要条件となり、交付された「文化財協会々員の章」が玄関の赤十字会員札に並べ掲げられました。
 その会員証も新築、改築ブームも手伝い昭和50年頃にはすっかり見られなくなりました。

 本協会が今日までつなげられてきた原動力は『小千谷文化』にあることは衆目の一致するところです。協会設立10年を迎えた昭和40年(1965) 9月1日、会員間の連携、交流を深める一助として『小千谷文化』が創刊されました。
 以来幾多の人々が『小千谷文化』継続にご尽力されましたが、基礎固めや継続する意義を説かれた小千谷小学校の事務職員であった故・安達吉冶さんと千田小学校長から市公民館長を長く務められた故・俵山喜秋さんのお二方の実績と情熱は後代に伝えておかなければならないものと思います。
 昭和56年度(1981)第86号から、これまでのミニ新聞形式をB5の冊子形式に変更。これは浅田壮太郎会長時代、須田武一、小杉達太郎、小野坂庄一さん等の熱意と努力によるものです。
 市社会教育課内に置かれた事務局が昭和62年度(1987)、在野に出される事となったことを受け、協会機構改革が行われました。事務局と編集委員会を並立させ、初代編集委員長に現会長の小野坂庄一さんが就任し、第108号を発刊。以後、冊子形式が守られ182号を数えることができました。



【副会長紹介】

富山 能隆
教育者・僧侶の父(能歓)からの二世会員。前小千谷市教育長 真言宗・極楽寺住職。

那須 文雄
 小千谷市史編纂当時の職員。市職員として長年勤務され、元小千谷市図書館長。

宮木 正喜
 教育者の父(喜一郎)からの二世会員。元高等学校教職員。

野 澤 勉
 元小学校教職員。東京生れ。小千谷に疎開したことがきっかけで当地に永住。

長年ご尽力頂いた副会長・滝沢龍三郎
さんは平成十八年十月十九日にご逝去
されました。