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<街道を歩く会>

三国街道・三国峠を歩く会
平成12年度・街道探訪会(H12.5.13)
〜荒戸城跡・池田家・八木沢番所跡・三国峠・永井宿〜

<荒戸城跡>
 芝原峠の尾根に築かれた山城。天正6年(1578)、御館の乱が起こると上州から進入する北条氏の大軍に備え、上杉景勝が関東口の防衛拠点として築かせた。
 遺構の保存状況がよく、築城年代、役割などが文献で確認できる貴重な山城。(県文化財指定)

<八木沢番所跡>
 上杉氏移封により荒戸城が廃城になったあと、城より西側で、八木沢村の南はずれにあたるところに置かれた口留番所。塩沢の井口氏が番所守役管理に当った。

<三国街道>
 中山道高崎宿から須川・猿ヶ京関所・永井・三国峠を経て越後に至る街道。新治村の三国峠を越えることから三国街道と云われる。
 慶長3年(1598)に堀直竒が坂戸城主となってから本格的に整備が行われるようになり、慶長14年(1609)、正式に道中奉行の支配下に入る。
 諸大名の参勤交代をはじめ人馬や物資の往来として五街道に次ぐ要路であった。


<三俣宿の脇本陣池田家>
 三俣宿は、三国峠を越えてから三番目の宿場で、三宿のなかで一番規模が大きかった。
 池田家は文政11年(1828)から正式に脇本陣を勤めるようになった。


<宿札(関札、泊札ともいう)>
大名や役人などが本陣や脇本陣に宿泊する際、宿の出入口や門に掲げた。
写真は池田家で使用されたもの。

<三国峠・三国権現(御阪三社神社)>
 三国峠に上野赤城神社、信濃諏訪明神、越後弥彦明神を祀って、上野、信濃、越後の国境とした。三国権現と改められたのは上杉謙信の仏教信仰から来たものという。
明治初年の廃仏棄釈で御阪三社神社と呼ばれるようになった。

<泰寧寺>
 延慶2年(1309)、天台宗として開創、後に曹洞宗に改宗。須弥壇、欄間、山門は桃山建築(県重要文化財指定)。
 山門は風か吹くと南北に揺れ動く二層楼門。
 7月下旬にはあじさいが境内一面に咲き乱れ、参拝者には写経や石物づくりの指導をしている。


襖絵は泰寧寺を中心とした風景の水墨画で中国女流画家の作。


<永井宿>上州側の十三宿最後の宿場町。


<平成11年度 街道を歩く会>
 岩沢・下条地区を訪ねて


【秋葉さま】
小千谷市岩沢字外ノ沢
 桜峰の秋葉山に秋葉神社の石塔が祀られている。眺めが良く、時水城址などが一望できる。


【田代の城山】小千谷市岩沢
田代部落の入会山。頂上付近には天保11年施主善右衛門の建立による伊夜日子信仰の石碑が残っている。


池ノ又方面(信濃川)から来る敵を防ぐ空堀が残る。



【函山城跡】小千谷市岩沢字細田沢入
函山城は岩沢集落の東南にそびえる山の頂上に築かれ、遺構からは信濃川を一望できる。信濃川の渡船、水上交通を監視する山城として重要な役割を果たしたと考えられる。

【下条中央公園】

【下条の城山】


広大寺】十日町市下条下組
長禄元年(1457)、上野白井(群馬県子持村)の雙林寺3世曇英慧応により創設。
民謡新保広大寺の発祥地。元禄年間頃に広大寺の和尚と門前の豆腐屋の娘お市との間柄を疑い、誹謗するようにな唄を歌ったと言われる。