<五料茶屋本陣お東・お西> 中山道の「松井田宿」と「横川の碓氷関所」のほぼ中間に位置した茶屋本陣。五科の茶屋本陣は二軒あり、両家とも代々名主役を勤めていた。 建物は文化3年(一八〇六)に再建されたものを整備し復元たもの。お西の上座部分は、明治十一年に明治天皇が北陸東海御巡幸の折、「御小休所」として使われるため、明治十一年に大改修された。(文部省指定史跡)
足袋の町としても有名な埼玉県行田市は、忍藩の城下町として発展した。昭和62年に復元された御三階櫓は、忍城の実質的な天守閣として機能していた建物。本丸跡には行田市郷土博物館があり、行田の歴史と文化を紹介している。
海津城は武田信玄が上杉謙信の信濃への侵攻に備え、北信濃の最前線拠点として築いた城。永禄3年(1560)頃までに完成したとされ、同4年の「川中島の合戦」の際は、妻女山に陣営を張る上杉軍に相対して武田軍の本陣となった。 「川中島の戦い」のころは土塁であったが、後に石塁にしたものといわれる。規模は松代町の大部分を囲むほどの壮大なものであった。 築城当初の名称は、地名を用いて海津城と呼ばれた。その後、二度にわたり名称が変更されたのち正徳元年(1711)に「松代城」と改められた。
真田邸は、9代目松代藩主の母お貞の方の隠居所として建てられたもので、城外御殿としては他に例がなく珍しい。